スクールカウンセラーだより from 一心塾

スクールカウンセラーとして勤務している学校で発行している便りです。

言わんでもわかって

 保護者さんや先生方の相談を受けているときに私がいつも気に掛けているのは、子どもさんの「甘え」は満たされているだろうかということです。
人は乳幼児期にお母さんやお母さんの代わりになる人との「一対一の絆」を結びます。心理学の方では「愛着関係」と呼んでいます。この関係が安定したものになると、子どもの心の中に「内なる母」ができあがり、それほどお母さんに執着しなくてもよくなります。この愛着関係が基本にあると、家族のメンバーや学級の友だちとの「一対多のつながり」によって安定を得ることもできるようになります。
 ところがこの「内なる母」は心理的にショックなことがあると崩れてしまうことがあります。再びお母さんや誰か「一対一の絆」を結んでくれる人を探し求め、まるで赤ちゃん返りをしたような感じです。でももう赤ちゃんではないのですから「しっかりしなさい」と激励して終わり、ということが多いと思います。これが子どもにとっては二重のショックなのです。
 人間は辛いことがあると何度でも「一対一の絆」を求め、それが叶えば、また一対多のつながりから元気を得ることができると私は考えています。この考え方を応用して、もし学級での勉強につまずいたなら、一対一で勉強に付き合ってあげるのが良いと思います。勉強がわからないというのは、本人の中では結構ショックなことなのです。
 さて、一対一の絆を求めることは人生最初の重要な甘えですが、一般的に甘えの態度というのは「言わんでもわかって」です。赤ちゃんのうちは言葉が使えないから当然として、大きくなっても甘えたいことについては「言わんでもわかって」とばかりにすねたり、ひがんだりという態度を人は取ります。甘えの強い人にとって、言わんでもわかってくれる相手は「いい人」で、わかってくれない相手は怒りの対象になります。
ここから二つのことが言えます。第一に、よく相手の心を察して、その人の甘え(無自覚な期待)に応えるようにすれば「いい人」になれるということ。第二に、誰かに対する自分の甘えを自覚できるようになることで精神的に自立できるということです。もし誰かに対して腹を立てているとしたら、それはその相手に何かを期待して甘えているのかも知れません。自分の甘えに気づき、丁寧な言葉でお願いすれば相手はようやく行動を起こしてくれることでしょう。
 精神的に自立すると怒りが減り、またやるべきことをきちんとやれる人になります。反対にずっと自分の甘えに気づかないでいたら、世の中は腹立たしい人だらけになっていきます。
 日本人は察することが得意な国民で、日本の「おもてなし」のすばらしさはすでに世界中に知られています。日本では「言わんでもわかってもらえる」のはある程度当たり前ですから、どうしても甘えが許される傾向が強いと思います。だからこそ自分の甘えに気づき、しっかり自分の気持ちを伝える練習をする必要があるのではないでしょうか。