スクールカウンセラーだより from 一心塾

スクールカウンセラーとして勤務している学校で発行している便りです。

親切

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世のことは皆さんもご存知でしょう。ツイッターでもときどき、とても親しみやすい言葉で、奥深いことを述べておられます。
最近私が目にした言葉にはハッとさせられました。「私の宗教はシンプルです。私の宗教は親切にすることです。」
難しい教義を理解していることではなく、厳しい修行をすることでもなく、ただ誰に対しても親切にすること。世界的に有名な、ノーベル平和賞までもらった方がそのように言うのですから、この言葉は大変重みがあると思います。とても分かりやすいですし、しかも簡単に実践できることです。
ところが、本当は簡単ではないと思います。バスの中でお年寄りに席を譲ることさえ勇気がいりますし、譲ろうとしたら「年寄り扱いしないで」と叱られるかもしれません。親切と思ってやったことが、相手を傷つけることになるかもしれません。どうしてあげるのが親切かは、時と場合によるので、相手の様子をよく観察しなくてはなりません。
でも、失敗はつきものです。「余計なことしないで」と、もし言われたら、一つ学んだと思ってください。迷惑そうにされたらどうしようと迷って何もしないのでは、何も学ぶことはできないと思います。たくさん失敗することで、だんだん「人はこんなふうにしてもらうとうれしいんだ」ということが身についてくることでしょう。親切にすることは立派な修行なのです。
もし人が自分のことばかり考えていたら、世の中はすぐに悪くなってしまいます。人間関係は腹が立つことばかりになり、お金だけが頼りで、つまらない競争だらけ、親切にするなんてバカバカしく損なことだという考えが広がっていきます。しかし、自分のことばかり考えている人が他者に対して密かに望んでいるのは、「誰か自分に親切にしてくれ」ということなのです。
だから、たとえ周りの人がすべて自分のことばかり考えているような人であっても、あなただけは誰かに、親切にしてあげるべきなのです。そう考えると、ダライ・ラマの言葉の本当の意味がわかってくるでしょう。
一番親切にしにくい相手は、実は家族です。身近な相手には、相手が自分に親切にしてくれることを先に期待してしまいます。甘えが出てしまうのですね。すぐにケンカしてしまう相手にこそ、今日からちょっとした親切を心がけたらいかがでしょうか。