スクールカウンセラーだより from 一心塾

スクールカウンセラーとして勤務している学校で発行している便りです。

暴力はなぜなくならない?

 この世に暴力がなかったら、どんなにすばらしいことでしょう。おそらく誰もがそう願っているのに、暴力がなくなることがないのはなぜでしょうか。暴力には体によるもの、言葉によるもの、心によるものの3種類があると言われています。

 昔、ラスカという国にカラという男の子がいました。ある日カラは、「自分は絶対に暴力をしない」という誓(ちか)いを立てました。カラは人を叩いたりしませんし、人の悪口も言いません。そして、心の中で人をバカにする考えを持たないように努力しました。
 すごく難(むずか)しいことをがんばっていたのですが、なぜか友だちから悪口を言われてしまいます。「気取ってる」とか「弱虫」と言われ、とうとうイジメられるようになってしまいました。
 カラはお父さんに相談しました。自分は暴力をしないって誓っているのに、なぜ友だちはこんなに暴力的なのかと。お父さんは、
「お前の誓いは実にすばらしい。そのまま誓いを守りなさい、イジメる子たちのことは放っておきなさい」
でもイジメは収まらず、とうとうカラは家の外に出ることをやめてしまいました。そして「お父さんはどうして本当のことを教えてくれないんだろう。僕の誓いは僕をみじめにしただけだ!」と考えて、毎日泣いていました。カラはなぜかお母さんを憎みはじめ、お母さんを叩いたり、悪い言葉を使うようになりました。お母さんもお父さんもたいそう悲しみました。
 20年後、カラは家の商売であった果物を売り歩く仕事をしながら、相変わらず考えていました。自分は正しかったはずなのに、何がいけなかったのだろうかと。暴力はなぜ起こるのかと。
 そのとき、カラスがやってきて籠(かご)のマンゴーを一つ掴(つか)んで飛び去りました。カラはカラスに石を投げつけようとして、はずみで転んで顔面を強打してしまいました。
 しばらくして、カラは大声で笑い始めましたから、周りの人はびっくりです。「カラのやつ、とうとう気が狂ったぞ」。カラは額から血を流しながらも、ゆかいに笑いながら、「なーんだ」と言いました。「自分を大事にすることを忘れてた」。
カラはそれから自分の心と言葉と体をとても大事にするようになり、とても幸せな気持ちでいられるようになりました。するとお母さんを大事に思えるようになり、また笑顔が増えたせいか、果物もよく売れるようになりました。

 でも皆さん、自分の体を大事にするのはわかりますが、自分の心と言葉を大事にするってどういうことでしょうね。20年悩んだカラだからこそ、わかるものがあったのかもしれませんね。

出会いは不思議

 人間は思い通りにならないものです。「今年こそ絶対に○○○するぞ!」と、初詣で誓ったことが、一体どれだけ成し遂げられたでしょうか。何を誓ったか、覚えていない!という人もいるかも知れないですね(笑)
また、子どもに対して、「もっと○○をちゃんとやりなさい」と口うるさく言ってきたことを、どれだけ子どもは実行してくれたでしょうか(泣)

 私たちの頭の中には、理想の自分像、理想の子ども像というものがあって、それと比べながら「思い通りにならない~」と、ため息をつくことが多いように思います。だんだん努力することが虚しくなって、「もう知らん!」と、投げやりになってしまったこともあるのではないでしょうか。子どもがゲームにのめり込むのも、早々に努力をあきらめた結果なのかもしれません。

 でも、私たち自身も、子どもたちも、少しずつは変化しています。思い通りではないかもしれませんが、3年前に比べれば変化しているはずです。「確かに、小さい字が見えづらくなった」って、そういうことではなく、理想とは少し違った方向だけど、「案外それもありか」という方向に変化していると思いませんか?

 どうしてそんなふうに変化したのか、その原因は“出会い”にあると、私は思います。人との出会いに限りません。本とも出会います。今年、ノーベル化学賞を受賞された吉野彰さんは、小学生の頃に『ローソクの科学』という本に出会って、科学に導かれたとおっしゃってましたね。映画とも出会いますし、絵とも出会います。いろんな出会いが少しずつ私たちを変化させているのです。
 自分が発した言葉とも出会います。後になって「なんであんなこと言ったんだろう」と思うようなことでも、案外自分の本心だったりすれば、そこで自分の本心と出会うわけです。ぼんやりとものを思っているときも、ああ、自分の中にこんな思いがあるのかと出会います。だから、ぼんやりするのも悪いことではありません。そんな思いから発した言葉なら、もしかしたら子どもにスッと届くかもしれません。

 出会いは偶然です。人間の頭で考えた理想はうまく行かないことが多いですが、偶然の出会いは、私たちに素敵な影響を与えるようです。偶然なんだけど、偶然じゃないのかもしれないですね。
 

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私たちはいろんな出会いに導かれていますから、初詣に行かれたら、「昨年の出会いに感謝します。今年も良い出会いがありますように」、なんてお願いするのもいいかもしれないですね。出会いに感謝できる人は、ますます素敵な出会いに恵まれると思いますよ。では、良いお年を。

心の発達と無意識

 小学生のA君は片付けが苦手で、家でも学校でも叱られてばかりいました。でもA君はなんとも思っていません。「片付けのことなんか知らん」と思っています。A君にとって大事なのは友だちと遊ぶこと、そしてゲームです。

「どうしてあんたは何度言ってもわからないの!!」

お母さんが家でキレると、A君は「クソババア」と言って弟の頭を叩きます。

 さて、どうしてA君はこれほど言われても片づけないのでしょうか?

 

 答えは、「子どもは叱られると、脳のブレーカーが切れることがあるから。」

 人間は脳に大きな負担がかかると自動的にブレーカーを切って、心が傷つかないように守ろうとします。無意識的な働きなのです。大人の場合は心が発達していますから多少の負担は耐えるのですが、子どもの心は未熟ですから、わりとすぐにブレーカーが切れます。

 ブレーカーが切れているのに、さらに叱れば心が傷つきます。マイナスの感情が心の底に溜まっていき、それは悪いことに、友だちや兄弟・姉妹などに発散されがちです。またブレーカーを切らざるを得ないような叱り方をする人に対して、子どもは信頼の糸を切ってしまうかもしれません。すると後は損得のつながりになります。ちょっと、というか、かなりさみしい話ですね。

 ブレーカーは、穏やかにしていればまたスイッチがもとに戻ります。ただ、心が傷ついている場合は、戻るのに時間がかかります。

 

 子どもの行動を正そうとするときに、大人はどう接したら良いでしょうか。

 それには、子どもの理解力で理解できる説明をする必要があります。それによって子どもの心が発達します。会話の例を載せておきましょう。

母「A君は、きれいに片付いているのと、散らかっているのと、どっちが良いかな?(やさしい言い方で)」

A「片付いていない方が、すぐに遊べるから、その方がいい。」

母「そうかあ、それで片づけたくなかったんだ。でも片付いていないとお母さんは掃除ができなくて、ホコリが溜まるでしょう。ホコリが溜まると、A君や家族が病気になりやすくなるから、困るんだよね。片付けに協力してもらえないだろうか。」

A「いいよ」

母「じゃあお母さんと一緒に、ぱっと片付けられる方法を考えよう。」

 

 子どもが心の奥底から親に対して願っているのは、自分の存在を、無条件でそのまま受け入れてもらえることです。それが叶ったら、次はある程度自分でできるようになるまで、うまく導いてもらうことです。この2つだけなのです。

 でも親の力だけでは難しいこともあります。学校と協力関係を築いて取り組むのが良いと思います。スクールカウンセラーもまた、そのお手伝いをさせていただきたいと願っています。

がんばる力が出せないあなたへ

 夏休みも終わってしまいましたね。なんだかさみしいような、力が出ないような感じの人も多いと思います。

 おとなにとって、子どもは元気いっぱいであってほしいし、子どもが元気だと、おとなも元気になれます。でも子どもにもいろいろ事情があって、がんばる力が出せないこともありますよ。

 がんばる力が出せない理由として考えられるのは、次の2つことです。

1,家族や友だちとの人間関係で傷ついている。

2,「自分はだめな人間だ」、と思わずにいられない。

 

 傷ついているということは、心がケガをしているわけですから、がんばれなくて当たり前なのです。そして、そんなときは「自分はだめな人間だ」と思わずにいられなくなってしまいます。

 それでは、がんばる力が出ないときはどうしたら良いでしょうか。次の中からえらんでください。

 ① 話をきいてもらう

 ② おいしくて栄養のあるものを食べる

 ③ あそぶ

 

 答えは①、②、③です。そう、全部です。そして、①でも②でも③でも、誰(だれ)かやさしい人と一緒だと一番効果があります。

 少しがんばれるようになったら、次に、体を大事にするようにしましょう。

 睡眠をたっぷりとって、規則正しい生活をしないと、すぐにまた力が出なくなって、なまけたくなってしまいます。

 すると、叱られたり、嫌なことを言われて、また傷つくことになります。だから、ここは自分で心がけて、体を大事にしてくださいね。

親切

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世のことは皆さんもご存知でしょう。ツイッターでもときどき、とても親しみやすい言葉で、奥深いことを述べておられます。
最近私が目にした言葉にはハッとさせられました。「私の宗教はシンプルです。私の宗教は親切にすることです。」
難しい教義を理解していることではなく、厳しい修行をすることでもなく、ただ誰に対しても親切にすること。世界的に有名な、ノーベル平和賞までもらった方がそのように言うのですから、この言葉は大変重みがあると思います。とても分かりやすいですし、しかも簡単に実践できることです。
ところが、本当は簡単ではないと思います。バスの中でお年寄りに席を譲ることさえ勇気がいりますし、譲ろうとしたら「年寄り扱いしないで」と叱られるかもしれません。親切と思ってやったことが、相手を傷つけることになるかもしれません。どうしてあげるのが親切かは、時と場合によるので、相手の様子をよく観察しなくてはなりません。
でも、失敗はつきものです。「余計なことしないで」と、もし言われたら、一つ学んだと思ってください。迷惑そうにされたらどうしようと迷って何もしないのでは、何も学ぶことはできないと思います。たくさん失敗することで、だんだん「人はこんなふうにしてもらうとうれしいんだ」ということが身についてくることでしょう。親切にすることは立派な修行なのです。
もし人が自分のことばかり考えていたら、世の中はすぐに悪くなってしまいます。人間関係は腹が立つことばかりになり、お金だけが頼りで、つまらない競争だらけ、親切にするなんてバカバカしく損なことだという考えが広がっていきます。しかし、自分のことばかり考えている人が他者に対して密かに望んでいるのは、「誰か自分に親切にしてくれ」ということなのです。
だから、たとえ周りの人がすべて自分のことばかり考えているような人であっても、あなただけは誰かに、親切にしてあげるべきなのです。そう考えると、ダライ・ラマの言葉の本当の意味がわかってくるでしょう。
一番親切にしにくい相手は、実は家族です。身近な相手には、相手が自分に親切にしてくれることを先に期待してしまいます。甘えが出てしまうのですね。すぐにケンカしてしまう相手にこそ、今日からちょっとした親切を心がけたらいかがでしょうか。

中期目標を持とう

  リオでのオリンピックも終わり、日本はこれまでで最多となる41個のメダルを獲得しました。銀や銅メダルを取っても、悔し涙の選手を目にすることも多かったですね。「絶対に金メダル」という目標を選手や監督が持って取り組んできたことがよくわかります。金を目指したからこそ、銀や銅が取れたのではないでしょうか。
 「金メダル」というのは数年先に達成すべき目標ですから、「中期目標」と言えます。では長期目標は何かといいますと、10年後、20年後、あるいは一生目指し続ける目標です。中期目標を達成した後、燃え尽きてしまわないために重要なのが長期目標です。
 「数年後にはこれを達成するぞ!」という中期目標を持つことは、最も人をやる気にさせます。逆に中期目標がないとダラダラした生活に陥りやすく、人生を虚しく感じることでしょう。それでは精神的成長も望めません。
 アスリートに限らず、誰でも中期目標を持つべきだと思います。その目標は自分を奮いたたせるものでなければなりません。そういう目標を持っているだけで人は精神的に強くなれます。迷いが少ないからです。もし今、そのような目標が見当たらない人は、「自分が奮い立つような中期目標を見つけるぞ!」というのを中期目標にされたらいかがでしょうか。
 自分にふさわしい中期目標を持っている人は一日一日を大事にするはずです。どうすれば目標達成できるのか、日々考え、実践し、反省し、あるいは良い先生を見つけようとするでしょう。うまく行っているときは自分自身の成長に喜びを感じるでしょう。ときには思うように行かず、悩み、落ち込みもするでしょうが、そういう時は心が成長するチャンスです。また家族や友だちの存在のありがたさを感じるときでもあります。
 オリンピック選手がインタビューで必ず口にするのは「応援してくれる人のお陰」という言葉ですね。中期目標を持ってがんばっている人に対しては、周りの人も応援したくなります。ですから自分の中期目標を周りの人に知ってもらうことはとても大事です。達成するには応援があった方が絶対にいいですものね。

スクールカウンセラーだより「怒る人」

  むかし、怒ってばかりいる人のもとで働いていたことがあります。きげんが良さそうなときでも、何かの話がきっかけになって急に怒り出すので、そばにいると気が気でありませんでした。何しろそのどなり声の大きさ。そしてねちねちとしたしつこさ。一体何でそんなことを怒っているのだろうという理由のわからなさ。きっとこの人は心を病んでいるのだろうと、かわいそうにも思いながら、でも耐えられないからできるだけ近寄らないようにしていました。

   いつも怒っている人は、きげんを取ってもらいたいという欲求を抱えているのだと思います。そしてきげんを取ってくれない相手には怒っていいのだという考え方を持っているようです。ただ、うまいもので怒る人は自分が頭が上がらない人のきげんを取ることは上手だったりする場合もあります。

  怒りは周りの人に迷惑なだけでなく、自分の体や心も傷つけます。だから怒る人はけっこう病気を抱えているものです。

  怒る人のそばにいると「あんなふうになってはいけない」と感じて、自分の怒りをガマンするようになる人も多いものです。しかしガマンすることにエネルギーを使ってしまい、元気が出なくなることがあるようです。そのうちに自分が何で怒っているのかその理由さえわからなくなっていることもあります。

  怒りは出すのもがまんするのも良くない毒のようなものですね。

  では怒りはどうしたら良いでしょう。無視やガマンではダメです。無毒化する必要があります。そのために私は次のことをおすすめします。

○ 誰かに怒りについて聞いてもらう

○ 怒りを文章や絵にかく

  つまり安全な方法で表現するということです。