スクールカウンセラーだより from 一心塾

スクールカウンセラーとして勤務している学校で発行している便りです。

売りコトバ、買いコトバ

早くしなさい
うるせーな
うるせーとは何よ
うるせーからうるせーんだよババア

売りコトバに買いコトバでは感情はピークまで高まり、そのたびに人間関係にひびが入ります。攻撃的な状況では人間は防御しなければなりませんので、どうしても売りコトバに対しては買いコトバで対応するというパターンが日常的に生じます。攻撃的な言葉に対しては、武道の達人が相手の刃をすっとかわすように対応できればいいのですが、

パターンB
早くしなさい
うるせーな
はい、ごめんごめん。でももう時間だよ
わかったよ

売りコトバ、買いコトバ

早くしなさい
うるせーな
うるせーとは何よ
うるせーからうるせーんだよババア

売りコトバに買いコトバでは感情はピークまで高まり、そのたびに人間関係にひびが入ります。攻撃的な状況では人間は防御しなければなりませんので、どうしても売りコトバに対しては買いコトバで対応するというパターンが日常的に生じます。攻撃的な言葉に対しては、武道の達人が相手の刃をすっとかわすように対応できればいいのですが、

パターンB
早くしなさい
うるせーな
はい、ごめんごめん。でももう時間だよ
わかったよ

中学生へのメッセージ  ―自分の足でしっかり立てる人間であるために―


親や友人に理解されることを待っている限りは、あなたは誤解され続けます。
甘えていては理解されないのです。そして誰よりあなた自身が自分を理解できないでしょう。
どんな場面でもあなたの心は何かを感じているはずです。気持ちは大切な宝物です。この宝物は人にあげることで輝きます。伝えたい人に大事に渡してください。「ありがとう」と伝えましょう。「少し嫌な気持ち」と伝えましょう。「ごめんなさい」と伝えましょう。気持ちを表現する人は正しく理解されます。
もしあなたが人を責める人間であるなら、あなたは怒りと不満の中で生活し続けます。責めれば責めるほど怒りと不満は膨らみますが、それを受け止めてはくれるのは勇気のある人だけです。周りに勇気のある人がいないなら、あなたは失望し自分を見失うことでしょう

便利さの落とし穴

 生き物は環境に適応する努力をしないと滅びてゆきます。ケータイ、ゲーム、インターネットの時代になって、若い人がさっとそれに適応できるのは、これは本能的なことなんだろうと思います。
 しかし使わない能力が衰えるのも生き物の宿命です。特に人間は生活の便利さを限りなく追求して行った結果、昔に比べてずいぶん「生きる能力」を衰えさせてしまいました。例えば隣近所と協力し合わなければ生きて行けない時代には、必然的に人と関係を結ぶ能力が養われますが、今は家族以外の他人を思いやったり、逆に助けてもらわなければならない機会が減った分、「人間関係力」は低下しています。
 「努力や工夫をしなきゃならない環境」が人を育てるのです。子どもが家の手伝いをしないと生活が維持できない時代なら、子どもは手伝いすることに疑問をはさまないでしょう。ゲームがない時代なら工夫して遊ぶしかないでしょう。テレビがない時代なら他の娯楽を求めるでしょう。
 子どもは時代時代に適応しているだけなのです。その意味でゲームばっかりやってる子、メールばっかり打ってる子もそれなりにがんばって適応しているわけです。もしそれを苦々しく思うなら、別なことにがんばらなきゃならない環境作りを大人の側でしなければなりません。口でうるさく言うのはただ環境を悪化させるだけです。
 いつの時代も人間は工夫します。便利な時代になっても、今度はそれに対抗する工夫が必要になります。便利さに甘んじているだけでは人間は衰える一方です。しかも便利な時代はこの重大な事実に気づきにくいのです。ぜひご用心下さい。

子どもは透明な魚

 少年事件が頻繁に起こり、やり切れない思いを抱える今日この頃です。「子どもは透明な魚のようだ」とある精神科医が本に書いていましたが、大人が子どもの話す言葉ばかりに頼っていると、なかなか「透明な魚」というふうには感じられないと思います。しかし子どもの態度や様子を見ていると、からだ全体でとてもいろんなことを伝えているのがわかります。
 子どもに関心を持ち、ある程度余裕をもって眺められる人ならば、ちょっとした様子の変化に、「どうしたの、何かあったの?」声を掛けてあげることができるでしょう。「別に、何でもない」と答えたとしても、心配してくれる大人がいることはその子にとってとても安心できることです。
 そして二人きりになれる穏やかな時間があれば、「あのね、」と辛い思いをしていることを話してくれるでしょう。「そう、辛い思いをしてたんだね」と受け止めてあげてください。
 子どものからだは「透明な魚」ですが、口は「貝」のようです。本当に安心できる環境でなければ開かないし、本心は語られません。そして子どもの心が安心できる環境とは、近くにいる大人の穏やかで知恵深い心です。
 少年事件が起こる前には必ずはっきりした兆候が何回かあります。その全てを見落とせば事件はおきますが、たいていは誰かが気づいて何とか収まるものです。

根の力

 草木が地面に根を張って自分の体を支え、また栄養や水分を吸い上げるように、人も家庭という地面に根を張って、体だけでなく心も成長させていきます。
 やがてその根は、友だちや学校などにも伸びて、人は安心感を増し、やがて花を聞かせ果実を実らせるでしょう。しかし地面がとても固ければ、根を張ることができませんし、逆に柔らか過ぎれば、根はひ弱で、幹も安定しません。
 家庭における地面の固さとは、気持ちが通い合うような会話や接触が少ない、つまり情緒的な固さです。「人間はこうあらねばならない」というような理想諭が家庭を支配していると、地面は固くなりやすいようです。
 また柔らか過ぎる地面とは、家庭に置き換えれば過保護な環境ということです。栄養過剰で根腐れを起こしてしまいます。
 またせっかく伸ばした根が、心ない言葉や態度で切断されてしまうこともあります。すると、新たに誰かに根を伸ばそうとする意欲が当分の間薄れてしまうでしょう。
 しかしどんな環境にあっても、根の力は自分自身で育てることができます。それは、少しずつでも人を信じよう努力することで養われます。
 誰かから信じられれば、人はそれに応えようとするのですし、逆に疑われれば、応えようとする気持ちも薄れます。人を信じ、また信頼される関係が根を太くしていくのです。