スクールカウンセラーだより from 一心塾

スクールカウンセラーとして勤務している学校で発行している便りです。

開いたり閉じたりする心

 リラックスしているときはいろんなことに対して「まあいいか」とか「しょうがないか」と思えるものですし、逆にそう思えば幾分リラックスしてくるものです。そういう時は「自分」という存在にあまり執着していません。他者の存在や現にある状況を受け入れようとしています。つまり心が開いているときです。
 常にそんなふうだったら気楽なのですが、自分や自分の家族とかを守らなければならないときは「まあいいか」とは言ってられないことはあるものです。世の中にはそいうことの方が多いかもしれません。緊張し「自分」や「自分たち」に固執し、場合によっては戦闘モードになっています。
 先ごろ衆院選挙がありましたが、政治家は常に「自分たち」に固執しなければならない宿命にあるようです。ほんの一部の主張が違えばそこだけが異様に強調されて、残りの大半の考えが同じであっても「自分」と「他者」の間に埋めがたい溝ができてしまいます。
  私たちの心は開いたり閉じたりするのが常だと思います。それは人間の一日のリズムにも組み入れられています。たいてい夜、寝る時間が近づくと緊張が緩み、ついには「自分」は消え去り無防備な状態になります。そして朝起きて、昼も近づく頃には臨戦態勢になっているわけです。このリズムが失われて、常に緊張とか常に弛緩であればこれは病気といわざるを得ません。
 心が開いたままでも閉じたままでも私たちはまともに生活できないのです。開いたり閉じたりしないといけません。
 閉じるとは防御を固めることです。そして実はしっかりした防御力があるとき私たちは安心して心を開くことができます。防御力とは環境に対するかかわりの技術の集積です。礼儀正しくも堅苦しくない会話、相手を傷つけずに申し出を断るテクニック、知識、趣味、経済力、肩書き、持ち物、ステータス、すべてが防御力です。そしてそれを自我といいます。
 人のライフサイクルにも心が閉じる時期と開く時期があります。思春期に向けて子どもは心を閉じていきます。しっかりした自我を身に付ける上で欠かせないことです。このとき開くことばかりを教育として強調していては子どもは混乱するかもしれません。 恋愛は特定の人に心を開くことです。未熟な防御力で開こうとするからぎこちなく、ぎこちないからドラマが生まれます。